出自

前回書いた、お気に入り裁縫箱。

見目好く色好く頑丈で合理的で、『さすが日本製』と感心することしきり。

しかし唯一気になっていたのがこれ↓。

中がぽっかりと空いているのである。

空間がもったいなく、

「前の持ち主が棚板をなくしてしまったに違いない?」と思い、

裁縫道具を入れてもゴタゴタと重なり合ってしまって不便だし汚いし、

そのうち夫に棚板を作ってもらう予定。


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さてところで。

日本旅行をしていたある日ある村あるカフェ。

畳部屋で抹茶なんぞをいただきながらホッと一息。

そこは古い家で、いろいろな、由緒のありそうなものがあちらにもこちらにも。

で、そこに偶然、我が裁縫箱とまったく同じものを見つけたのである。

驚き桃の木山椒の木。

早速ご主人に由来を訊く。

これは裁縫箱ではなくて、何と明治時代の携帯ミシンだったのである。

そこに置かれていたそれには、中にちゃんとミシンが入っていた。

写真をよく見ていただくと分かると思うが、底に4つの穴が開いている。

これも私には「?」だったのだが。

で、この穴に携帯ミシンの足がぴったり納まるのである。

ご主人の、明治生まれのおばあ様がいつも使っていたのだそう。

それにしても、ミシンは明治時代に西洋から入ってきたものだと思うが、既にこの時代に持ち運びのできる『携帯ミシン』があったのには驚いた。

自分の裁縫箱の由来が分かって、何だかとてもスッキリ。これは、フリーマーケットに出した人のおばあ様が使ってらしたのかもしれない、明治の御世から、大切に。

…出自を知るって大切なことだ、と思った。


さてまた話は飛ぶが。

欧米では、キリスト教精神なんだか知らないが、子供のいない夫婦はもちろん実子のいる夫婦でも人道的見地からかアフリカやアジアの子、理由あって養子に出された子たちを育てている人は少なくない。

傍目には分からないが、実情は結構大変そうである。

特に思春期になると、自分が誰だか分からない、自分の産みの親に会いたい、自分がなぜ捨てられたのかを知りたいと複雑な問題を抱えてしまうことが多々あるそうだ。

「いつか自分の国へ帰るんだ」と言っていた子も知っている。彼を我が子として愛し育ててくれている養父母がいるのにもかかわらず。親に内緒で調べているのだそう。

私を含め、ほとんどの日本人には自明のことで気にかけたこともないだろうが、自分のルーツが分からない、『今ここ』に浮遊しているだけという自我の不安定さは想像を絶するものがあると思う。

ただのモノである裁縫箱と人の深刻な問題を関連づけて語るのは失礼であるのは承知だが、

こんなちょっとしたモノの由来が分かっただけでこんなに、筋が一本通ったような強さ(?)が感じられるわけだから、『今』しかない者たちの心細さどれほどのものなのだろうと思いを馳せた次第。





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by iroirohitorigoto | 2017-08-29 20:18 | 見たり/聞いたり/考えたり